「う、うそだ、ろ。」
「俺、なにか悪いことしたの?」
「聞き間違いだよな。。。」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
幸せの絶頂から絶望の谷底まで突き落とされた感覚。
横では泣き崩れる嫁。
呆然と立ち尽くす私。
医者から告げられた非情な一言、、、
「お子様はダウン症の可能性があります」
・・・・・。
私の人生の中でここまでショックだった出来事は今までなかっただろう。
状況を飲み込むこともできず、嫁を慰めることもできず、
ただただお医者様の言うことを聞くしかなかった。
そして思う。
「なんで我が家に・・・。」
・・・・・。
これが、ダウン症の我が子、「えいじゅ」が生まれた時の心境です。
あまり覚えていませんが、心臓だけ妙にバクバクしていたことだけ
鮮明に覚えています。
こちらの記事では私と妻の出会いから、
ダウン症の息子「えいじゅ」がどのように生まれたか。
そして、
私がなぜこのブログをはじめたか?
を書いてみました。
「だでぃ」という人物をすこしでも理解してくれたらうれしいです。
普通に恋愛して普通の家庭を持つ
妻との出会いは、東京の練馬区。
私のひとめぼれだった。
猛アプローチの末、お付き合いを開始。
妻とはステキな恋愛をさせてもらった。
お付き合いをして3ヶ月、
「私には結婚願望があります」とカミングアウト。
妻は少し困った表情をしていたが、すぐに笑顔になってくれたのを覚えている。
1年ほどお付き合いをさせていただいて、
ディズニーシーのS.S.コロンビア号の甲板でプロポーズ。
(かっこよく膝をついてしたかったが、緊張MAXで普通に指輪を手渡すw)
結果は、
「お願いします。」
天にも昇る気持ちの高揚感!!
はれて私たちは、結婚することになりました。
妻の妊娠。幸せの絶頂期。
ほどなくして妻から「話がある」と連絡が入った。
仕事から帰って、妻に見せられた妊娠検査薬。
妻の口から、
「妊娠しました。」(〃▽〃)ポッ
実は、妻から報告を聞くまで、
妊娠検査薬を見ていても、
「なんだこりゃどう見ればいいの?」だった。
やっと状況がのみ込めて、力いっぱい妻を抱きしめた!
あの感動は忘れられない。
妻にありがとうと何回も伝え、
「パパになるんだぁ~」としみじみ思いました。
妊娠中でしたが、無事結婚式も済ませ、二人で行けるうちに行こう!
ということで旅行にも何度かでかけました。
日に日に大きくなるお腹。
妻からママになっていく姿を見ているとなんだかほっこりもしていたような気がします。
産婦人科の検査は全て異常なし
妻は里帰り出産を希望していたため、
当時住んでいたアパート近くの産婦人科で定期健診をしていました。
エコーを見たり、
体動を見たり、
心臓の音を聞いたり、
「この子は男の子ですね」とか言われたり。
「順調に成長していますね。」と言われるくらい
普通の妊婦さんと変わりなく日々を過ごしていました。
この時は初めての妊娠ということもあり、
出征前診断や羊水検査などの知識もなく、
普通に生まれてくるものだと何も疑いなく、
毎日妻のお腹を眺め、幸せに過ごしていました。
幸せの絶頂からどん底へ
妻の陣痛は、予定日より2週間も早く来ました。
会社には伝えていたものの、妻の実家には新幹線で2時間ほど。
すごいバタバタして妻のもとへ向かいました。
新幹線の中で妻からLINE。
「生まれました。」
「えええええええええええーーーーーーーーーーーーーー」
「間に合わなかった。。。」
立ち会えなかったことを残念に思いながら、
妻と子供の無事を確認し、急いで妻の病院に向かいました。
そして緊張の初めて我が子と対面。
冗談ぬきで、
「かわいい」と思いました。
同時に妻に「ありがとう」とも。
もうガラス越しで見る我が子から目が離せませんでした。
病室ではボロボロの妻をねぎらい、
初めて我が子を抱きしめることもできました。
ちっちゃいし、私の手の平にすっぽり収まる頭だし、
可愛くって可愛くって仕方がなかったです!
あんまり泣かないし、いい子だなーとか。
助産師さんがミルクをあげているがあんまり飲まないからまだ眠いのかな?
とか自分の子供がダウン症なんて頭の片隅にもありませんでした。
「黄疸があるから、ちょっと光に当てます。」そんなことも言われ、
我が子がケースに入れられていた時に、
助産師さんから、「先生からお話があります」という呼び出しが。
「何だろう?」
先生はなにやら神妙な面持ちで、
「お気を確かに聞いてくださいね。」
「えいじゅくんなんですが、、、」
「ダウン症の可能性があります」
「詳しくは遺伝子検査をしないとわからないですが。。。」
(えっ・・・?)
心臓を槍で貫かれた気がしました。
一瞬で心臓がドクドク音を立て、指先からは血の気が引き、
冷たくなっていました。
(ダウン症って。。。聞いたことあるけど。。。)
私は震える声で、
「先生、本当ですか?」
「間違っている可能性は?」
・・・・。
「検査をしてみないとはっきりとは言えませんが、ダウン症の確率は非常に高いです」
・・・・・。
「あああああああああああああああああああ」
横で妻が泣き崩れました。
あとで妻に聞いたのですが、
生まれた時の顔やあまり泣かないこと、
ミルクの飲みが悪いことなどから、
この時すでに妻の中では、
(もしかしたら・・・)
という思いがあったそうです。
私も呆然と妻を抱きしめることしかできませんでした。
それと同時に、
負の感情が一気に押し寄せてきました。
「え?俺、障がい児の父親になるの?」
「子供と楽しく暮らす思い描いていた人生は?」
「一生苦しまなくてはいけないの?」
など。
数えきれない思いが頭の中をグルグルと回っていました。
そう。
私は子供の無事を心配する前に、
わが身を第一にしか考えられなかった最低な男でした。
今思い出しても辛いですね。
あの日だけはめちゃめちゃ神様を恨みました。
まだ、状況が呑み込めていませんでしたが、
妻のことも子供のことも心配で、
会社には、子供の具合が悪いと伝え、
1週間休みを頂きました。
親に言われた一言
妻はいったん義母が落ち着かせてくれていたのですが、
押しつぶされそうな気持ちで私も実の母に連絡をしました。
「お母さん子供生まれたよ。でもダウン症なんだって・・・ううっ」
電話越しでしたが、母の前で号泣したのはいつ以来でしょうか。
覚えている限りでは10年以上は泣いていないと思います。
そんな私に対して、母は、
「ダウン症?私の職場にもダウン症の子来るよ!とってもいい子よ。」
「私たちはあなたの家族なんだから一緒に育てていこう。」
と言ってくれました。
これ思い出して書きながら号泣しています。(笑)
母はほんとに強いですね。尊敬です。
妻は私の『誇り』
入院期間も終了し、妻と子供は義母の実家で過ごすことになりました。
私は仕事に戻るため先に自宅へ。
義母へ「妻と子供をお願いします」と伝え帰りました。
そこから1ヶ月毎日電話をして、毎日写真を送ってもらい、
「今日はミルクをいっぱい飲んだ」
「ちょっと泣いたんだ」
「お風呂に入れてみた」
少しずつですが妻も元気を取り戻し、
私もそんな妻に元気をもらっていました。
ある日、そんな妻と電話をしていた時に、
妻の覚悟を知りました。
「この子の母親は私しかいないんだ。私はこの子と一緒に生きていく」
私はこの妻の一言に心を打たれました。
そして私もここで覚悟が決まりました。
なに落ち込んでいるんだ!お前が家族を支えていくんだろ!妻と子供の未来を明るくできるのはお前だけだぞ!
と。
正直、私はずっと悩んでいました。
「やっていけるのかな。。。」と。
言葉でしたが、
そんな私の頬を平手打ちしてくれた妻の覚悟を、
「誇り」に思っています。
生まれて3年が経ちました
早いものでえいじゅが生まれて3年が経ちました。
今はえいじゅと出会えたことに感謝しています。
そして同時に愛情に溢れています。
ですが、
1つだけ勘違いしてもらいたくないことは、
えいじゅが障がいをもって生まれて来てくれてよかった。
とは思ったことはありません。
えいじゅが生まれて来てくれてよかった。
という思いです。
「障がいがなかったら。。。」とは100%思っています。
この気持ちは、私自身の問題ではなく、
えいじゅ自身の未来の選択肢を狭くしてしまったという思いからです。
ですが、
そんな私のちっぽけな悩みなんて吹っ飛ばしてくれるくらい
我が家には、今、幸せな時間が流れています。
ダウン症の子は、本当に毎日ニコニコして笑顔を振りまいてくれます。
ちょっと嫌なことがあっても、えいじゅの笑顔で忘れるんです。
そりゃ、えいじゅに本気でムカつくこともあるし、
寝顔は天使のようだと本気で思いますし、
親子喧嘩、夫婦喧嘩もします!
同時に将来の不安も大いにあります。
保育園のこと。
学校のこと。
友達のこと。
就労のこと。
生活のこと。
家族のこと。
その他めちゃくちゃいっぱい。
でも、こんなのどの家庭でも同じことです。
今では新しい命も迎え、
家族4人で楽しく過ごしていければそれでいいとも思っています。
なぜ、このブログはじめたのか?
ダウン症候群って意外と調べてもなかなか情報がないんですよね。
これってなんでかっていうと、
症候群っていう言葉の意味は、
「原因は不明だけど、共通の病態を示す人が多い場合など、そのような症状の集まりに名をつけ扱いやすくしたもの」
ってことなんです。
だから、ダウン症=こんな症状です。
って言えないんです。
私も病院の先生や保育園の先生、友人などから聞いた話だったり、
ネットで調べた内容、
自分の息子をよく観察した時の話をしています。
私はお医者様でもありませんから無責任なことは言えません。
でも、
うちの子はこうでした。周りの方はこうでした。
という情報を参考にしたい!
という思いはめちゃくちゃあります。
私は、ダウン症のえいじゅを育てる一人の親です。
親であれば子供に、
- 良い環境を
- 良い刺激を
- 良い経験を
- 良い学習を
- 良い友人関係を
- 良い将来を
と考えるのは当たり前のこと。
私が悩んでいることは必ず、他の親御さんも悩んでいるはず。
そんな方の力に少しでもなりたい。
だからこれから、
皆さんの少しでもお役に立てるようなブログを書き続けていきたいと
思っています。
同じ境遇で悩んでいる方。
なんでもいいです。お悩みを教えてください。
そして一緒に良い方法を模索していきましょう!
今回はここまで。だでぃでした(@Daddy_ejyu)
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